地球の恵み経済論

自然を基盤とした解決策(NbS)による気候変動レジリエンス強化:経済評価と持続可能な資金メカニズム

Tags: 自然を基盤とした解決策, 気候変動適応, 経済評価, 資金メカニズム, 生態系サービス

はじめに

気候変動による影響が顕在化する中で、その適応策および緩和策の重要性はますます高まっています。従来の工学的アプローチに加え、近年では「自然を基盤とした解決策(Nature-based Solutions: NbS)」が、生態系サービスの多角的機能を通じて気候変動レジリエンスを強化する有効な手段として国際的に注目を集めています。本稿では、NbSが提供する多様な便益の経済的評価手法とその課題、そしてNbSを持続的に実装するための資金メカニズムについて、国内外の政策動向と具体事例を交えながら深く掘り下げて考察します。

自然を基盤とした解決策(NbS)の多角的価値と気候変動レジリエンス

NbSは、生態系を保護、持続可能に管理、あるいは復元することにより、社会課題に効果的かつ適応的に対処し、同時に生物多様性の恩恵と人間の福利をもたらす行動を指します(IUCN, 2016)。具体的には、森林の保全・再生、湿地の復元、沿岸生態系の保護(マングローブ林、サンゴ礁)、都市緑化などが含まれます。

気候変動レジリエンスの強化において、NbSは以下の多角的価値を提供します。

これらの便益は、生態系が提供する供給サービス、調整サービス、文化サービス、そして基盤サービスといった多様な生態系サービスの具体例として捉えることができます。

NbSの経済的評価手法と課題

NbSの政策決定や投資判断を支援するためには、その多角的便益を経済的に評価することが不可欠です。しかし、NbSが提供する便益の多くは非市場財・サービスであり、市場価格が存在しないため、その貨幣価値を評価することは容易ではありません。

主要な経済評価手法としては、以下が挙げられます。

課題: 1. 非市場価値の貨幣換算の困難性: 特に景観価値や文化的な便益など、主観的な価値の貨幣換算は依然として論争の的となることがあります。 2. 便益の時空間的変動と不確実性: NbSの便益は、時間経過とともに変化し、気候変動の不確実性も加わるため、長期的な便益の予測は困難です。 3. 多重共益(Co-benefits)の定量化: NbSは気候変動レジリエンスに加え、生物多様性保全や社会経済的便益など複数の便益を同時に提供しますが、これらの便益間の相互作用や累積効果を包括的に評価する枠組みが求められます。 4. データ不足: 適切な評価を行うための生態学的データ、社会経済学的データの不足が、特に途上国において課題となることがあります。

これらの課題に対し、近年ではマルチクライテリア分析(Multi-Criteria Analysis: MCA)を併用することで、貨幣価値に換算できない定性的・定量的要素も考慮に入れた多角的な評価が試みられています。

持続可能な資金メカニズムの構築

NbSの導入と維持には、初期投資および長期的な管理費用が必要です。持続可能な資金メカニズムの構築は、NbSの普及と効果的な運用にとって極めて重要です。

  1. 公共投資と国際協力:

    • 国家予算: 各国の政府予算が、インフラ整備計画や環境保全プログラムの一環としてNbSに直接投資されます。
    • 国際開発援助: 緑の気候基金(Green Climate Fund: GCF)や地球環境ファシリティ(Global Environment Facility: GEF)などの国際機関は、途上国におけるNbSプロジェクトに資金を提供しています。
  2. 民間資金の活用:

    • インパクト投資(Impact Investing): 環境や社会に positive な影響をもたらすことを意図した投資であり、NbSプロジェクトも対象となり得ます。
    • グリーンボンド(Green Bonds): NbSを含む環境プロジェクトの資金調達のために発行される債券です。投資家は環境配慮型投資を通じて、企業の環境へのコミットメントを評価します。
    • 自然関連財務情報開示(Taskforce on Nature-related Financial Disclosures: TNFD): 企業や金融機関が自然資本に関連するリスクと機会を開示する枠組みであり、これにより自然資本への投資が促進され、NbSへの民間資金の流れが加速することが期待されます。
  3. 革新的資金調達メカニズム:

    • 生態系サービス支払い(Payments for Ecosystem Services: PES): 生態系サービスの受益者が、そのサービスの提供者に対して金銭的または非金銭的な報酬を支払う制度です。例として、水源林の保全を行う住民に対し、下流域の自治体や企業が支払うケースがあります(例:コスタリカのPESプログラム)。
    • 債務免除型スワップ(Debt-for-Nature Swaps): 開発途上国の対外債務の一部を、国内の自然保護やNbSプロジェクトへの投資と引き換えに免除する仕組みです。
    • 炭素クレジット市場: 森林再生や湿地保全といったNbSプロジェクトが、炭素吸収量を創出し、これを炭素クレジットとして取引することで資金を得る仕組みです。
  4. 政策的インセンティブ:

    • 税制優遇: NbSに関連する土地利用や投資に対する税制上の優遇措置。
    • 規制緩和と奨励策: NbSを導入する企業や地域に対する許認可の迅速化や、補助金・交付金制度。

これらの資金メカニズムは単独で機能するのではなく、官民連携(Public-Private Partnerships: PPPs)を通じて統合的に運用されることで、より大きな効果を発揮します。

国際的な政策動向と実践事例

国際社会では、NbSが気候変動対策と生物多様性保全の統合的なアプローチとして認識され、その推進に向けた議論が活発化しています。

実践事例:

これらの事例は、NbSが工学的アプローチと比較して、費用対効果が高い場合があること、また、多岐にわたる共益をもたらす可能性を示しています。

結論と未来への提言

NbSは、気候変動レジリエンス強化において極めて有望なアプローチであり、その多角的便益を経済的に評価し、持続可能な資金メカニズムを確立することは、今後の社会課題解決において不可欠です。

未来に向けては、以下の提言が考えられます。

  1. 統合的な政策枠組みの推進: 気候変動政策、生物多様性保全政策、都市計画、防災計画など、様々な政策分野においてNbSを主流化し、相乗効果を最大化する統合的なアプローチが必要です。
  2. 経済評価手法の精緻化と標準化: 非市場価値の評価手法に関するさらなる研究を進め、多様な便益をより客観的かつ包括的に評価できるフレームワークを開発し、標準化を推進することが求められます。これは、異なるNbSプロジェクト間の比較可能性を高め、投資判断の信頼性を向上させます。
  3. 革新的資金メカニズムの拡充と普及: 公共資金だけでなく、民間資金、特にインパクト投資やグリーンファイナンスの動員を加速させるための政策的インセンティブや市場メカニズムの整備が必要です。TNFDのような情報開示枠組みの活用も重要となります。
  4. データ駆動型のアプローチ: NbSの効果を科学的に検証し、最適化するためには、長期的なモニタリングとデータ収集・分析が不可欠です。リモートセンシング技術やAIの活用により、効率的かつ広範囲なデータ取得が期待されます。
  5. 地域社会との協働: NbSの成功には、地域住民の参加と合意形成が不可欠です。伝統的な知識や慣習を尊重し、地域コミュニティがNbSの計画、実施、管理に主体的に関与できるような体制を構築することが重要です。

NbSは、生態系と人類社会の双方に利益をもたらす「地球の恵み経済論」を体現するものであり、持続可能な社会の実現に向けた重要な柱となるでしょう。