自然を基盤とした解決策(NbS)による気候変動レジリエンス強化:経済評価と持続可能な資金メカニズム
はじめに
気候変動による影響が顕在化する中で、その適応策および緩和策の重要性はますます高まっています。従来の工学的アプローチに加え、近年では「自然を基盤とした解決策(Nature-based Solutions: NbS)」が、生態系サービスの多角的機能を通じて気候変動レジリエンスを強化する有効な手段として国際的に注目を集めています。本稿では、NbSが提供する多様な便益の経済的評価手法とその課題、そしてNbSを持続的に実装するための資金メカニズムについて、国内外の政策動向と具体事例を交えながら深く掘り下げて考察します。
自然を基盤とした解決策(NbS)の多角的価値と気候変動レジリエンス
NbSは、生態系を保護、持続可能に管理、あるいは復元することにより、社会課題に効果的かつ適応的に対処し、同時に生物多様性の恩恵と人間の福利をもたらす行動を指します(IUCN, 2016)。具体的には、森林の保全・再生、湿地の復元、沿岸生態系の保護(マングローブ林、サンゴ礁)、都市緑化などが含まれます。
気候変動レジリエンスの強化において、NbSは以下の多角的価値を提供します。
- 洪水・土砂災害の抑制: 森林による水源涵養機能の強化や、湿地・氾濫原による洪水貯留機能は、極端な降雨イベントにおける被害を軽減します。
- 熱波緩和: 都市の緑地や水辺空間は、蒸発散作用や日陰の提供を通じてヒートアイランド現象を緩和し、住民の健康リスクを低減します。
- 海岸侵食対策: マングローブ林や藻場、サンゴ礁は波浪を弱め、高潮や海面上昇による海岸線の浸食から沿岸域を保護します。
- 炭素吸収・貯留: 森林、湿地、海洋生態系は、大気中の二酸化炭素を吸収・貯留する能力を有し、気候変動緩和にも貢献します。
- 水質浄化と水資源供給: 森林や湿地は自然の水質浄化フィルターとして機能し、安全な水資源の安定供給に寄与します。
これらの便益は、生態系が提供する供給サービス、調整サービス、文化サービス、そして基盤サービスといった多様な生態系サービスの具体例として捉えることができます。
NbSの経済的評価手法と課題
NbSの政策決定や投資判断を支援するためには、その多角的便益を経済的に評価することが不可欠です。しかし、NbSが提供する便益の多くは非市場財・サービスであり、市場価格が存在しないため、その貨幣価値を評価することは容易ではありません。
主要な経済評価手法としては、以下が挙げられます。
- 費用便益分析(Cost-Benefit Analysis: CBA): NbSの導入にかかる費用と、それによって得られる便益(被害回避、生産性向上、健康改善など)を貨幣価値に換算して比較します。直接的な市場価値を持つ便益(例:漁獲量増加)に加え、間接的な評価手法を用いて非市場便益を推計します。
- 被害回避法(Avoided Cost Method): NbSが存在しない場合に発生すると予測される災害被害額や、代替的な工学的対策の費用を便益として評価します。例えば、マングローブ林が防ぐ津波被害額や、堤防建設費用などがこれに該当します。
- 回避費用法(Replacement Cost Method): NbSが提供する生態系サービスを、人工的な手段で代替した場合にかかる費用を便益として評価します。例えば、湿地による水質浄化機能を、人工的な水処理施設で代替する場合の費用です。
- 表明選好法(Stated Preference Methods): コンジョイント分析や条件付き評価法(Contingent Valuation Method: CVM)などを用いて、NbSによる生態系サービス改善に対する人々の支払意思額(Willingness To Pay: WTP)を直接尋ねることで評価します。
- 顕示選好法(Revealed Preference Methods): ヘドニック価格法(Hedonic Price Method)や旅行費用法(Travel Cost Method)などを用いて、市場取引データから間接的に非市場価値を推計します。例えば、公園隣接地の不動産価格の差から、都市緑地の価値を推計するなどが該当します。
課題: 1. 非市場価値の貨幣換算の困難性: 特に景観価値や文化的な便益など、主観的な価値の貨幣換算は依然として論争の的となることがあります。 2. 便益の時空間的変動と不確実性: NbSの便益は、時間経過とともに変化し、気候変動の不確実性も加わるため、長期的な便益の予測は困難です。 3. 多重共益(Co-benefits)の定量化: NbSは気候変動レジリエンスに加え、生物多様性保全や社会経済的便益など複数の便益を同時に提供しますが、これらの便益間の相互作用や累積効果を包括的に評価する枠組みが求められます。 4. データ不足: 適切な評価を行うための生態学的データ、社会経済学的データの不足が、特に途上国において課題となることがあります。
これらの課題に対し、近年ではマルチクライテリア分析(Multi-Criteria Analysis: MCA)を併用することで、貨幣価値に換算できない定性的・定量的要素も考慮に入れた多角的な評価が試みられています。
持続可能な資金メカニズムの構築
NbSの導入と維持には、初期投資および長期的な管理費用が必要です。持続可能な資金メカニズムの構築は、NbSの普及と効果的な運用にとって極めて重要です。
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公共投資と国際協力:
- 国家予算: 各国の政府予算が、インフラ整備計画や環境保全プログラムの一環としてNbSに直接投資されます。
- 国際開発援助: 緑の気候基金(Green Climate Fund: GCF)や地球環境ファシリティ(Global Environment Facility: GEF)などの国際機関は、途上国におけるNbSプロジェクトに資金を提供しています。
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民間資金の活用:
- インパクト投資(Impact Investing): 環境や社会に positive な影響をもたらすことを意図した投資であり、NbSプロジェクトも対象となり得ます。
- グリーンボンド(Green Bonds): NbSを含む環境プロジェクトの資金調達のために発行される債券です。投資家は環境配慮型投資を通じて、企業の環境へのコミットメントを評価します。
- 自然関連財務情報開示(Taskforce on Nature-related Financial Disclosures: TNFD): 企業や金融機関が自然資本に関連するリスクと機会を開示する枠組みであり、これにより自然資本への投資が促進され、NbSへの民間資金の流れが加速することが期待されます。
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革新的資金調達メカニズム:
- 生態系サービス支払い(Payments for Ecosystem Services: PES): 生態系サービスの受益者が、そのサービスの提供者に対して金銭的または非金銭的な報酬を支払う制度です。例として、水源林の保全を行う住民に対し、下流域の自治体や企業が支払うケースがあります(例:コスタリカのPESプログラム)。
- 債務免除型スワップ(Debt-for-Nature Swaps): 開発途上国の対外債務の一部を、国内の自然保護やNbSプロジェクトへの投資と引き換えに免除する仕組みです。
- 炭素クレジット市場: 森林再生や湿地保全といったNbSプロジェクトが、炭素吸収量を創出し、これを炭素クレジットとして取引することで資金を得る仕組みです。
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政策的インセンティブ:
- 税制優遇: NbSに関連する土地利用や投資に対する税制上の優遇措置。
- 規制緩和と奨励策: NbSを導入する企業や地域に対する許認可の迅速化や、補助金・交付金制度。
これらの資金メカニズムは単独で機能するのではなく、官民連携(Public-Private Partnerships: PPPs)を通じて統合的に運用されることで、より大きな効果を発揮します。
国際的な政策動向と実践事例
国際社会では、NbSが気候変動対策と生物多様性保全の統合的なアプローチとして認識され、その推進に向けた議論が活発化しています。
- 生物多様性条約(CBD): 2022年に採択された昆明・モントリオール生物多様性枠組では、NbS(またはエコシステムベースドアプローチ)が生物多様性の損失を食い止め、回復させるための重要な手段として位置づけられています。
- 気候変動枠組条約(UNFCCC)パリ協定: 国が定める貢献(Nationally Determined Contributions: NDCs)において、多くの国がNbSを適応策や緩和策として含めるようになっています。特に、REDD+(森林減少・劣化からの排出削減と森林保全、持続可能な森林管理、森林炭素蓄積の強化)は、NbSの一種として重要な役割を果たしています。
- IPBES(生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォーム): NbSの科学的根拠を評価し、政策決定者への情報提供を行っています。
実践事例:
- オランダ「Room for the River(川に空間を)」プロジェクト: 洪水リスク管理のため、堤防強化だけでなく、河川敷の掘削や分流路の建設、湿地回復など、河川生態系の空間を広げるNbSを導入しました。これにより、洪水防御能力の向上に加え、生態系サービス改善やレクリエーション機会の創出といった多重便益が得られています(Delta Programme)。
- フィリピン「マングローブ林再生プロジェクト」: 沿岸部の津波や高潮に対するレジリエンス強化のため、マングローブ林の再生が行われています。これは、地域の漁業資源の回復や炭素吸収源としての機能も果たし、地域住民の生計向上にも寄与しています。
- 米国「グリーンインフラストラクチャー(Green Infrastructure)」: 都市部において、雨水管理、ヒートアイランド現象緩和、生物多様性保全を目的として、透水性舗装、屋上緑化、雨水庭園などのNbSが広く導入されています。ニューヨーク市などの都市が先行して取り組みを進めています。
これらの事例は、NbSが工学的アプローチと比較して、費用対効果が高い場合があること、また、多岐にわたる共益をもたらす可能性を示しています。
結論と未来への提言
NbSは、気候変動レジリエンス強化において極めて有望なアプローチであり、その多角的便益を経済的に評価し、持続可能な資金メカニズムを確立することは、今後の社会課題解決において不可欠です。
未来に向けては、以下の提言が考えられます。
- 統合的な政策枠組みの推進: 気候変動政策、生物多様性保全政策、都市計画、防災計画など、様々な政策分野においてNbSを主流化し、相乗効果を最大化する統合的なアプローチが必要です。
- 経済評価手法の精緻化と標準化: 非市場価値の評価手法に関するさらなる研究を進め、多様な便益をより客観的かつ包括的に評価できるフレームワークを開発し、標準化を推進することが求められます。これは、異なるNbSプロジェクト間の比較可能性を高め、投資判断の信頼性を向上させます。
- 革新的資金メカニズムの拡充と普及: 公共資金だけでなく、民間資金、特にインパクト投資やグリーンファイナンスの動員を加速させるための政策的インセンティブや市場メカニズムの整備が必要です。TNFDのような情報開示枠組みの活用も重要となります。
- データ駆動型のアプローチ: NbSの効果を科学的に検証し、最適化するためには、長期的なモニタリングとデータ収集・分析が不可欠です。リモートセンシング技術やAIの活用により、効率的かつ広範囲なデータ取得が期待されます。
- 地域社会との協働: NbSの成功には、地域住民の参加と合意形成が不可欠です。伝統的な知識や慣習を尊重し、地域コミュニティがNbSの計画、実施、管理に主体的に関与できるような体制を構築することが重要です。
NbSは、生態系と人類社会の双方に利益をもたらす「地球の恵み経済論」を体現するものであり、持続可能な社会の実現に向けた重要な柱となるでしょう。